甲府盆地の暑い夏(20)アンとマシュウ

八ヶ岳登山をきっかけに、阿川は美智といっしょに
1~2週間に一回野山を歩くようになった。

 

八ヶ岳に行った日から一週間のあいだは、
阿川は筋肉痛のため歩くのもやっとの状態だった。

 

それで美智に
「次から1/10ほどの体力しかいらないルートにして欲しい」
と言ったのだが、

「それじゃハイキングじゃなくてお散歩ですよ」
と言われた。

 

健康回復の目的からしても、少しきついぐらいの
運動でなければあまり意味がないだろう。

 

阿川は美智の薦めに従い、
登山初心者用の服や靴などを揃えた。

 

八ヶ岳から数えて3回目のハイキングで、
二人は南アルプス・駒ヶ岳のふもと尾白川渓谷に来た。

 

日本を代表する名水のひとつ・尾白川。
その水を利用して作られたウイスキーは、
ここ白州町の地名がそのまま商品名になっている。

 

二人はサワワワという水の音をBGMに、
渓谷沿いの山道を歩く。
眼下の水面がエメラルドグリーンに光る。

 

「ふうふう。この道は今までで一番きついですね」

 

「大丈夫ですか?阿川さん」

 

「倒れたら、すいませんがおんぶして帰って下さい」

 

「キャーッ!そんな事したら一緒に谷底に落ちちゃいますよ」

 

駒ヶ岳は南アルプスで最も地形のけわしい山で、
山麓のルートも他の山に比べると楽ではない。

 

途中からアップダウンが激しくなり、
足場が悪い場所も多い。

 

ちょっと遅れた阿川を、
阿川が小高い場所で待っていた。

 

折れた枝を杖にしてようやく上がった
阿川の顔を見ながら、美智が言った。

 

「あのー阿川さんって、モテるでしょう」

 

「ふうふう。何ですか急に。
正直、人生でモテた時期はありますよ。」

 

「どうして私なんかと
お出かけに付き合ってくれるんですか?
不思議に思ってるんです」

 

「うーん…………」

 

「あ、いえ!無いなら無いでいいですよ。
考え込まないで下さい」

 

「『赤毛のアン』ってご存知ですよね」

 

「あ、はい。好きな本です」

 

「あの中でマシュウが初めてアンに会った時、
アンのおしゃべりを少々うるさいと思いながらも、
何かその心地よさに惹かれますよね。
そういう感覚が近いかもしれません」

 

「……誉めてますか?それは」

 

「いや、必ずしも誉めてないかもしれません」

 

「誉めてないんですか!いいですよもう」

 

「それよりあなたこそ、
なぜ俺なんかと出かけたがるんですか。
こんな無愛想な奴、
一緒にいても面白くないと思いますが」

 

「あのーそれは、かっこいい方だからです。アハハハ」

 

「何かあっけらかんとしてますねえ」

 

 

水の音が大きくなった。
三つの滝が連なる「神蛇滝」が近付いてきた。

 

多分ここが、今日この時の日本で、
いちばん清涼な場所だな……と、
滝を見ながら阿川は思った。

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