4話 『枯れない花』

知らないうちに あなたに惹かれ
知らないうちに 傷ついた
あなたの白い  シャツの染み
いつしか    愛しく思い出す

時代遅れの歌詞だった。それが室生のたったひとつのヒット曲だった。

ヒットチャートに、2時間だけ入ってまして」

白髪混じりの無精髭の頬に手で杖をして、室生は何もかも諦めたような顔で微笑んでいた。

karenaihana4そっとスマホのタブレットで室生康夫と検索してみた。

昭和十六年生まれだからもう七十三歳。
瑞樹の祖父と同じくらいの年齢だ。

くたびれたシャツに、灰色のジャケット。
右の袖のボタンがなくなっている。

知らないうちに あなたに惹かれ…。

室生のたったひとつのヒット曲、タイトルは『枯れない花』という。

瑞樹はその歌を口ずさみ、滑稽な自分の思いに微笑んでしまう。

いったいなんで、かつての作詞家で、今はカルチャー教室で講師をやり、レコード会社から自費出版のレコードの作詞をして細々と生きているこんな年寄りに惹かれてしまったのだろうと、それが可笑しくてならない。

「先生、よかったらお酒でも飲んで帰りませんか?」

誘ったのは瑞樹からだった。
雨の夜、作詞教室の受講生は瑞樹一人だった。

元もと人気のある講座ではなかったし、多いときで四、五人の生徒が集まるだけだった。

「またこんどにしましょう」

「お約束ですか?」

「いや。今日はちょっと、持ち合わせがないから」

どこまでも風采の上がらない先生だった。

なんでこんなお爺さんをお酒に誘ったのだろうと、瑞樹は心の中でまた呟いていた。

そうだ、祖父に少しに似ている。
徳島の田舎で小さな製材所を営んでいた祖父の、何をしても不器用なところと、笑ったときの目尻にできる皺の感じがよく似ていた。

雑居ビルにある教室を出る頃には雨が止んでいた。

生温かい風が吹く街をスカートを押さえて駅まで歩き、赤提灯が出た居酒屋の暖簾をくぐった。

室生はどこで売っているのかカバンからピース缶を取り出して、両切りの煙草を吸った。
その煙の強い癖のある匂いも、どこか祖父のそれに似ていて懐かしい気がした。

「なんで、こんな教室に習いに来てるの?」

「私もそう思います」

室生も瑞樹も、あまり食べるほうではなかった。

室生はビールから焼酎、日本酒の常温をコップで飲み続け、瑞樹は甘いサワーを飲んだ。

「先生、奥さんは?」

「どれ? 最初の? 2番目の?」

「たくさんいらっしゃるんですね?」

「いや、二人だけだよ。最初のは亡くなった。2番目は男をこしらえて逃げていった」

「お子さんは?」

「欲しかったけど、女房が作るのを嫌がってねぇ」

五杯目のサワーを飲み干し、通りがかった店員にお代わりを頼んだ瑞樹は、テーブルの下で、室生の膝にそっと手を置いた。こんなことをできる自分にも驚いた。

「こらこら」

室生は微笑み、瑞樹の手を握って優しく自分の膝からはずした。

「生徒に手を出すのはもうやめたんだ。クビになったら困るんでね」

「あら、前にもあるんですか?」

「2番目の女房だよ」

知らないうちに あなたに惹かれ…。
瑞樹の頭の中で室生のヒット曲がまた小さく鳴った。

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